ピカピカおもいで手帖

ポケモンの事しか書かない思い出ブログです

お誕生日おめでとう!

本日、2月27日は「Pokémon Day」です。

1996年の2月27日に「ポケモン赤・緑」が発売されたことから、この日がポケモンの日となったようです。

ちなみに2024年のカレンダーは1996年のカレンダーと一致するっていう事が話題になっていましたよね。

なんだか運命的な時の巡りですし、せっかくなのでこの日を記念して私も個人用のポケモンブログを開設することにしました。

 

わたしとポケモンとの出会いは、小学生の頃でした。

当時、毎月読んでいた小学館学年誌で漫画に触れたのが最初だったと思います。

実はポケスペではないんですよね。ポケスペはアニメのあとなので。

その前にピカチュウなどが登場する小学校低学年向けの漫画があったんですよ。それを良く分からないまま楽しんでいた覚えがあります。

その後、地元の大型スーパーで売られていた赤緑のフィギュアに強く惹かれて買ってもらったり、下敷きを買って貰ったり、キャラクターから入っていったのをよく覚えています。

そして、この世界にどっぷりと浸かっていったきっかけとなったのが、アニメの放送。

1997年でしたね。当時は小学三年生でした。

アニメの世界にハマっていくにつれ、自分でもポケモンをやりたくなって、眠っていたゲームボーイを引っ張り出して、初めて遊んだのがポケモン赤でした。

パートナーはゼニガメ

その理由は、ポケモンの公式関連の書籍の裏側に、レッド、グリーンと一緒に謎の女の子キャラがゼニガメを連れているものが描かれていたからなんですよね。

後にこの子はブルーとしてポケスペにも登場するのですが、どうやら没キャラだったそうで。

しかしともあれ、当時のわたしはこの事がきっかけでゼニガメに何となく女の子のイメージが出来てしまい、迷いに迷った挙句、じゃあ、女子のわたしもゼニガメかなぁ…ってなったのでした。

そうして選んだゼニガメですが、これがまあ普通に強かった。当時はエスパーと氷が最強でしたからね。フリーザーとカメックスで何度も四天王周回とかしていた覚えがあります。

 

とまあ、こんな感じでアニポケに、ゲームに、と楽しんだのですが、忘れもしない1997年の暮れ、全国(一部地域を除く)ポケモンキッズたちに衝撃が走る出来事がありました。

それが、ピカチュウポリゴンショック……!

ポケモンショックとも呼ばれる放送事故が起きてしまったのです。それは、12月16日火曜日の事でした。

 

……ん???

ニュースを見た私はポカンとしておりました。

え……ポケモンって、月曜日の夕方放送じゃないの……????

て、あれ……ポリゴン回って……あれ???

 

そうです。わたしは鹿児島のキッズ。一部地域の方に含まれていたのです。

この日、わたしは週遅れという概念を知り、ひとつ大人になったのでした。

その後、ポケモンのアニメは休止。そのまま影を潜める可能性もあったわけですが、熱望により再開。

そんな出来事を経て公開された『ミュウツーの逆襲』は当時の小学生だった人たちの心に今も刻まれているのではないでしょうか。

原点にして頂点。そんなイメージを今も持っております。

 

あれから気づけば月日が経ちまくり、わたしもいい年のおばさんになってしまいました。

初代の時代は本当に…何か特別な事情がない限り全ての同級生が何かしらの形でポケモンに触れて親しんでいた気がしますが、あれからだいぶ経ちまして、今ではすっかりポケモンから離れてしまった人もいるでしょう。

でも、ひょっとしたら復帰していたり、子どもが出来て子どもと一緒に楽しんでいる人もいるかもしれませんね。

わたしのささやかな夢は、おばあちゃんになってもポケモンの新作を楽しみにしながら過ごすことです。

女優の淡路恵子さんがドラクエの大ファンで、生涯ドラクエを楽しみにしつつ亡くなられたというしんみりするエピソードが有名ですよね。

わたしも同じようにポケモンを愛し続けていけたらいいなと思っています。

 

その夢が叶うかどうかは、今はまだ分かりませんが、ポケモン愛を毎日叫ぶ場所として、ここを更新していきたいと思います。